ロートレックの欠片

ロートレックはお好きですか?

ロートレックは、十九世紀末のフランスの画家だ。少年の頃に脚を骨折したのが原因で下半身の成長が止まり、身体にコンプレックスを抱えていた。パリのキャバレーや娼館に集う人々を描き、ポスターを芸術の域にまで高めたといわれている。

私は、ロートレックの生まれかわりらしい。

引きましたね? 実際、私もそう言われた時は戸惑った。

ロートレック? 画家の? 絵心なんて全くないのに?

熱心にペンを走らせていた手が止まった。

占い師さん、本気で言ってます?

数年前のことだ。私はある占い師さんのもとを訪れていた。悩みがあって鬱々としていたら、友人が紹介してくれたのだ。

占いはカウンセリングだと思う。こんがらがった頭と心を、占いという技術で揉みほぐしてもらうのだ。その人はオーラと前世を見てくれるという。手相なら違う占い師さんに診てもらったことがあるが、前世は初めてだ。

当たる、当たらないばかりに気を取られないようにする。占い師さんを試すようなことはしない。盲信しない。心を開いて、フラットに話をする。それらを心掛けて、いざ占いの館の扉を開けた。実際は館ではなく、ごく普通のマンションの一室だが。

占い師さん(仮に中田さんと呼ぶ)は、肩までのボブにメガネをかけた女性だった。部屋はさっぱりしていて、水晶などの占いっぽい小物は見当たらない。私たちはソファに向かい合って座った。まるで友達のお母さんと話しているような気やすさがあった。

雑談をしながら、私は悩みを打ち明けた。

私は集団の中に入るのが苦手で、いつもなんとなく外れているような気がする。特に新卒の時の職場と、幼稚園の保護者の輪の中になかなか馴染めなかったことが、自分は人として何か欠けているのではないかと、ひどく落ち込んでしまった。端的に言うとそんな悩みだった。

話しているうちにボロボロ涙が出てきた。改めて言葉にすると、子供じみていて恥ずかしい。でもこの数年間の大きな悩みなので、思い切って話せて良かった。

中田さんは一通り話を聞くと、ゆっくり口を開いた。

あなたはとても愛情深く、優しい人です。

霊感体質で、人の心が読めてしまう。相手の考えていることがわかるから、感じやすくて疲れてしまう。

自分のことを協調性がないと言うけど、ちゃんとありますよ。慈愛に満ちて、平和主義です。人の念を受けやすいから、集団の中に入らないのは、自分を守るために当然のことです。苦手な人には近寄らず、今まで通り、合う人とじっくり関係を続ければいいんですよ。

主にこんな内容だった。ちなみに、以前に他の占いに行った際にも、霊感があると言われていた。

「幽霊とか見えたことないんですけど」

「幽霊じゃなくて、人の念を受け取りやすいという意味で、霊感体質なんですよ」

なるほど、そうなのか。

「自分の価値観を信じて、外に出て自分の世界を表現してください。そうしているうちに、だんだん人のことは気にならなくなりますよ。せっかく良いものをもっているのに、楽しまないところが欠点。自分の直感を大切にしてね」

悩みの底にいた私にとって、中田さんの話は一筋の蜘蛛の糸だった。真っさらな状態で、私という人間を見てもらえた気がした。だんだん私の心は軽くなった。また悩みそうになった時のために、中田さんに言われたことはその場でノートにメモした。

それから私のオーラや守護霊、そして前世の話になった。ここからはエンタメとして、気楽に聞こうと姿勢をゆるめた。

カウチに寝たり、体に触れられるのかと思っていたが、特に何もせず、そのままの調子で中田さんは私の前世を語り始めた。

パリで絵を描く男性の姿が見える。油絵ではなく、もっとさらっとした画風。ロートレックという言葉が浮かぶ。中田さんは確信した。

「あなたはロートレックの生まれかわりだわ」

私はノートにロートレック、と書いた。ハテナを付け足すか、少し迷った。

名を馳せた人は魂が大きくて、何人もの人間に分かれて生まれかわるそうだ。つまりロートレックの生まれかわりは他にもいる。大島弓子の漫画『秋日子かく語りき』では、みんなで一人の人間に生まれかわるというエピソードがあったが、その逆バージョンだ。

さらにその前は日本の武士で、外国の技術を藩に取り入れようと勉強熱心な人だったらしい。

真面目な武士、フランスの有名画家、そして私。私の指先から見えない糸が伸びて、二人に繋がっている姿を想像してみた。しっくりくるような、こないような。

後で家族や友達に報告すると、笑い半分、納得半分といった反応だった。

私は吹っ切れた。占いが嘘でも本当でも、どちらでもいい。人智を超えたものがこの世にはあって、中田さんを通じてその端っこに触れた。そう思うと、清々しい気分になった。それでいい。蜘蛛の糸を、私は登り切れた。

家に帰ってから、私はロートレックのことを調べ、彼の短い人生に想いを馳せた。

ロートレックさん、私はあなたの欠片の一部らしいです。あなたは残念ながら早逝されたけど、私は大器晩成だそうです。あなたが見られなかった景色を、見られるかもしれませんね。いつか、あなたが繰り返し描いたムーランルージュに行ってみたいです。

画風としてはゴッホの方が好きなのは、秘密にしておこう。