ZINEをゆっくり届けたい人の居場所とは

文フリ東京の開催報告をチラ見していて、今後、私はZINE、自主制作の本はどうやって売っていけばいいか悩んでいる。そもそも売る、というより読んでくれる人と出会って届けたい、という感覚でやっている。だから私のことを全く知らない人が、ちょっと読んでみたいなーと思った時に気楽に買える価格設定にしている。今のところ50ページ前後の文章のみの本で500円。

今年の夏、あるZINEのイベントに委託参加し、会場のカフェに子どもたちと母とランチがてら見に行った。販売されているZINEの価格を見て、全くZINE文化を知らない母は「なんでこんなに高いの?」と素朴に不思議がっていた。

たとえば、個人で印刷、製本した文庫サイズの40ページほどのZINEが800円+税で販売されていた。個人で価格設定できるので全く問題ない。ただ、ZINEを知らない人からは「なんで高いの?」と思われるのか、と改めて思った。しかし、私のZINEの価格は抑えめだからといって売れまくっている訳ではない。ZINEを購入する人は、そもそもの知名度、ZINE講座などで出会った仲間、以前からの知り合いというつながりの有無、表紙のデザイン、中身の魅力などを価格より重視しているように思う。作るのにお金がかかることを知っているから、出版社の本より割高になることも承知しているだろう。

悩む。今後、どうやって作った本を広めていこうか。文フリ東京は大規模過ぎるし、お祭り騒ぎ感が私には合わない気がする。文フリ京都は旅行を兼ねて申し込んだが果たしてどんな雰囲気だろう。
ZINEフェスも出ているけど、あれくらいの規模で入場料を取るのが妥当なのかわからない。あと、公式のXがリポストする出展者としない出展者がいるのが違和感。全ての出展者のポストを拾えないのはもちろんなのだが、公式にリポストされる、されないは、出展側には大きな差になると思っている。
じゃあ、自分でイベントやれよ!って感じだよね。はい。そのとおりだ。
私、いまだにZINEを作ったり読む知人がいないのだ。イベントでお隣になった方とお話したり、SNSで繋がることはあるけど、ZINE仲間にまではいかず。(だから全く知らない私のZINEを買ってくれた方々には、毎回心底嬉しく、感謝の気持ちでいっぱいだ)さすがにひとりでイベントは開けないしなぁ。

STORESで通販できるようにはしているけど、ほとんど稼働していない。維持費はかからないのだが、閉じるか考え中だ。購入者がいても、手数料と売り上げ1万円未満の場合、売り上げの振り込み手数料をがっつり引かれてしまうので、だったら昔ながらの銀行振り込みで郵送するやり方の方が気楽かも?
書店に置かせてもらうように営業するか。これもやっていない。なにせ500円なので、書店の売上に貢献しない。知名度のことばかり言いたくないが、どこの誰かも知れない私の50ページ前後の薄いZINEが棚にささっていても、静かに埋没するしかないだろう。
だから自分で対面で売る、が1番広がる可能性があるのだ。

いかに売れるか!に力を入れる人がいても良い。売れた部数は気にせず、じっくり届けていきたい人がいても良い。でも世の中は後者の居場所がなかなかない。難しいなぁ。
私のささやかなZINE(そもそもZINEなのかな。自主制作の本、という言い方がしっくりする)が、ゆっくり届いていく場がほしいな。いつか作れるかなぁ。にぎやかなタイムラインを見ながら考えている。

ケアに関するメモ

ただのメモ書き。まだ全く自分の中で整理がついていないから。でも忘れないようにメモとして残しておく。

働ける程度に健康である人は、人生のどこかで最低でも半年くらいは他人をケアする労働に従事してみた方がいいと思う。もちろん我が子を育てたり、家族の介護をするのはケアそのものなのだけど、全く自分とは関係のない他者をケアする経験こそ、一回はした方がいい。

なぜそう思ったかというと、夫との会話での違和感がきっかけだ。なにかのドラマのセリフを引用して「教育業界っていうのは、1番儲からないビジネスだ」と夫は言った。正直、はぁ?と嫌悪感がわいた。教育業界というのは、なんのことを指しているのだろう。幼稚園や保育園?学校?塾?直感として、この考え方が蔓延している今の社会はクズだな、と思った。保育業界の端っこにいる身として、また子育て真っ最中の親として、教育こそビジネスにしちゃダメなんだよ、と感じている。きれいごとか?でも本当にそう思う。教育なんて言葉も本来は傲慢だ。人間はどんなふうに生まれても、それぞれに個別の力が備わっているはずだ。少し先に生きている私たち大人は、教えて育てるというより、子どもたちの中にある個々の力が存分に発揮できるよう、力を尽くして伴走するのみだ。ひとつの秩序立った方向に教え導かねば、という前提が、大人も子どもも苦しめているように思えてならない。

ケアを市場の図式に当てはめると、ケアはサービスやものを生み出すわけではないので、経済的な生産性がない、もしくは低いと見做される。そこにあえてビジネスの論理を持ち込むためには、成績を伸ばす、特別な経験を提供して人生に付加価値を与える、といった能力至上主義に進むしかなくなる。それはもはや教育なのか?

教育や介護などのケア労働を、尊くてピュアな行いなのだと神聖化したいわけではない。ここはもっと考えを深めてうまく言葉にしたいのだけど……。教育や介護などを受けることは、人間の権利や尊厳そのものだと思う。だからビジネス構造とは別の場所に置いておくものではないのか。ケアを担う側になってみると、その考えはうわべの理解ではなく、自身の経験を通して実感できる。ケアしたことがないと、ケアの本質が理解できない。だからビジネスの中で生きている人たちこそ、一定期間、他人をケアする立場を経験すべきだと思う。

と、ここまで考えてみた。このあとどう考えが着地するか、まだわからない。

ZINEについてとりとめなく

先日、ZINEを販売するイベントに参加した。
初心者でも使いやすいツールが豊富になったおかげで、私もなんとかZINEを作れるようになった。誰に頼まれたわけでもなく作っている。売れる売れないは後回し。しかしツールが発達した結果、ZINEを世に出すハードルは逆に高くなったような気がする。誰でも作れるけれど、その分ある程度鑑賞に耐えられるレベルでないと見劣りしてしまうのでは、と尻込みする。
せっかくZINEを作ったのでイベントに参加する。SNSでの告知が重要なのは理解しているが、集客力や知人の数を意識したくないときも多々ある。人を数として見たくないし、売れた数を成果としたくない。

そもそも私が作っているものはZINEなのか。伝わりやすいのでZINEと呼んでいるけど、自主制作本の方が実はしっくりくるかも。ホッチキスで留めたり、折りたたんで手渡しで回しあう、あれこそZINEだなー。懐かしいし、むしろそういうZINEが欲しい。下手とか上手いとか、売れた数とか気にせず、もっと個人的なもの。

子どものころ、二つ折りにした紙をホッチキスで重ねて本の形になったときの興奮。小学校のクラスで作った、手書きの作文をコピーして束ねた文集。簡素だけど、束ねてあるだけで特別なものになった。そういう素朴で簡素なものへの憧憬がしっかり私の中に残っている。
以前、かつてガリ版で学級だよりを毎日作っていた先生たちの姿を追った本を読んだ。たとえば東北の山深い農村では、新聞を取るのも大変なので、担任の先生が学級の様子だけではなく新聞記事を抜粋して載せていた。それを毎日子どもが持ち帰り、農作業を終えた親たちが楽しみに読んでいたそうだ。この光景を想像してぐっとくるのは、情報過多に陥った現代人の懐古主義かもしれない。でも、これこそ紙の力だと思う。人が持っている知識欲、善くありたいという願いと実践の表れ。私がやりたいことは、このガリ版の学級だよりに近い。

今後もZINEのイベントには出るけど、私はホッチキスで中綴じしたZINEを積極的に作っていきたい。しかも区民センターのリソグラフを使って作る。技術を提供してくれるサービスにしっかりお金を払う一方で、公共の機器である区民センターのリソグラフで作ることにもこだわりたい。地域住民が安価な金額で使える、というところが大切で、それこそ「誰でも作れる」証明だと思うから。

以上、イベントに参加してみて感じたことでした。

お母さんを冒涜するな

私の親世代は専業主婦が多かった。

ずーーーっと家族、地域のケアを担ってきた。

まさに滅私奉公、自分の時間と体力を捧げていた。

全て放り投げてぶち壊したい日だって何度もあっただろう。

そんな他人のケアに捧げた人生をあの党が「肯定」してくれたように思えたのかもしれない。

子供を産んで育てることは、体と心とお金と時間と...持っているもの全て注ぎ込むほど大変なことなのに、あたり前に女性が背負わされてきた。

家庭の幸せが自分の喜びだと、無意識にでもすり替えるしかなかった。

「だって他に誰がやるの?」

昔、母がぽろっとこぼした本音を、もっとしっかり受けとめるべきだった。

「ママは特にやりたいことなんてないし、暇だからいいのよ」

こんな悲しい言葉を言わせてしまったのは、私と父と弟と、この社会だった。ごめん、ごめん...

「母親」ってなんなんだろう。すごく悲しいよ。

でも母の人生を否定しているわけではないんだ。

 

こんなふうに、あらゆる葛藤や矛盾を飲み込んで「母親」として生きてきた人たちがいることを、ひとかけらでも想像したことがあるか?

気安く、でまかせにお母さんにしてくださいなんて、お母さんを冒涜するな。

不安とわたし②

なぜ不安障害になったのかというと、ざっくり言えば睡眠不足のせいだろう。

2019年当時、息子はもうすぐ2歳になるところだった。数ヶ月前に急に始まった夜泣きがとても激しく、私はすっかり疲弊してしまった。1歳までは、泣き出したらそっとお気に入りの毛布を握らせれば、ことんと眠っていたのに。下の子は育てやすいって本当だね〜、なんて呑気に笑っていた過去の私がなつかしい。

息子はある時、正確に言えば家族で訪れた台湾のホテルで、急に悪魔が乗り移ったかのごとく泣き喚いた。抱っこしようにも全力で抵抗されるので、手が出せない。右に左に上に下に、力の限り手足を振り回して転がり続ける。海老反りになって背中を布団に打ち付けている息子を、ただ見守るしかできなかった。恐ろしいのは、本人は眠っていて無意識なのだ。目はしっかり閉じられ、体だけが泣いて暴れている。息子が何かに乗っ取られた!本気でそう思った。そんな地獄のような時間が2時間ほど続き、こちらの体力が限界に近づいたころ、前触れなく静かになった。ぱつんと糸が切られたように眠りの幕が降りた。今までのは悪夢だったのか?息子の寝顔を覗き込むと、髪の毛は汗びっしょりで額に張り付いている。やっぱり現実なのだった。さらに不思議なのは、こんなに同じ部屋で大騒ぎされているのに、娘はちっとも目を覚まさない。一体、どうなってるんだ。この日から、息子の悪魔タイムは毎日のように続いた。

悪魔タイム以外、息子は静かに深く眠っている。日中も元気だ。問題は私の方だった。耳を貫く泣き声と暴れる手足がナイフとなって、私の気力の芯を少しずつ削いでいった。そしてある秋の夜、ついに最後の一皮が剥かれてしまった。

不安とわたし①

あ、日記は書かなくていいですよ。

医師の予想外な言葉に驚いて、ハンカチに埋めていた顔を上げた。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった、ひどい顔のはずだ。医師はそんなものは見慣れているようで、さっと箱ティッシュを差し出しながら、話を続けた。

書くと余計に不安が強くなるので、何も書かなくていいです。自分の頭の中で何度も不安をこねくり回して、増幅させてしまいますから。

そんな。

今の私にできる唯一のことが、日記を書くことなのに。こんがらがった頭の中を整理したくて、ただひたすらにノートのページを埋めていた。どうしてこんなことになったんだ?何が怖い?背後に感じる黒いざわざわしたものは何?

不安の正体をつかみたくてノートに向かっているはずなのに、医師の言うとおり、書けば書くほど不安が湧いてきてしまう。それでも、布団に潜り込んで、泣きながら寝ているだけよりはマシだと思っていた。

とにかく、何もしなくていいです。今は頭の回路の調子がおかしくなっていて、不安の回路が太くなってるんです。

確かに、不安に関することだけは頭が冴えまくり、次から次へ考えが浮かんでくる。こんな時だけ冴えなくていいのに。

今何か書いても、ろくなことにならないので。

カタカタとリズムよく医師はキーボードを叩き、薬を処方してくれた。そしてこの一ヶ月間、涙と不安にまみれた私の状態に、名前がついた。

「不安障害」

そのまんまだ、と少し笑えた。

 

※2019年の話を振り返り中。