怖いもの

息子の幼稚園がキリスト教の教えに基づいた教育をする幼稚園なので、久しぶりに「お祈り」した。保護者会のはじめにお祈りを捧げてから始まるのだ。特定の宗教、神様を信じてはいないが、祈る対象を設定し、決まったフォーマットで祈りを捧げる行為は気持ちが楽になる時がある。大きなものに乗っかる楽さに、つま先だけ浸かった感じだ。中学生の頃、学校の決まりで初めて地域の教会に登録し、何回か通った。親切で優しいおばさま方が迎えてくれた。礼拝だけでなく、その後にある日曜学校にも出席するように誘われて顔を出した。おそらく親に連れられて小さな頃から通っている同じ年頃の少年、少女たちがいた。彼らはおばさま方よりは素っ気なく、ほとんど話さなかった。お互い思春期だし、顔馴染みだけで固まるのは当然だった。なぜかこの文章を書きながら、彼らの顔が浮かんできた。たった数回しか会ったことがないのに。地域の教会はあっという間に通わなくなった。優しくされても、神様を信じていないまま通うのは心苦しかった。いつかは信じなくてはいけないのだろうな、というプレッシャーも重かった。教会に赴く理由が、「神様を信じているから」「心が安らぐから」ではなく、「学校の決まりだから」以上にならなかった。私は信仰というものが怖い。今もずっと怖い。