楽しい音の時間だよ

娘がウクレレを習い始めて1年経った。きっかけは小学校での音楽鑑賞会だった。初めてヴァイオリンやドラムなどのバンド演奏を生で聴き、楽器に興味が出たようだ。はじめはギターを習いたがったが、子どもには難しそうな気がした。ちょうど私はウクレレに興味があったので、言葉巧みに誘導し「ギター、ギター!」と騒いでいた娘に「やっぱりウクレレやってみる!」と言わせることに成功した。

近所にある民間の学童がウクレレ教室を開いているので、そこに通うことにした。二週間に一度、一回一時間。頻度としては少ないが、これくらいがちょうどいい。子どもが習いごとの練習をしないことは、自分の経験からも明らかだ。発表会もないから気楽でいい。五、六人の小学生たちが輪になって座り、のんびりウクレレを弾いて歌う。飽きた子はマットの上に寝そべって休んだり、気が向けば鈴を鳴らしてなんとなく参加していた。そのゆるくて素朴な光景が気に入った。娘もすぐに輪に入り、基本のコードを教わって練習するようになった。練習曲が私より少し上の世代が好きなラインナップで、絶妙になつかしい。

ルージュの伝言日曜日よりの使者、少年時代…小学生たちがポロンポロンとウクレレを鳴らし、男の子も女の子も関係なく入り混じって懐メロを歌う。ちょっとくらい音程がズレても、歌詞を間違っても、子どもたちがつむぎだすまっすぐなメロディが胸を突く。なんだか切なくなる。音楽って本来はこういうものなのだろう。音を楽しむ。

私の父はギターが好きだ。娘がウクレレを習い始めたことを一番喜んでいるのも父だ。夏休みに実家に帰った際、即席家庭内コンサートが開かれた。ユニット名は「じいじ&まごーず」なんてどうだろう。

父はギター、娘はウクレレ、五歳の息子はクッキーの缶をドラムにして参加した。ちゃんとチケットやチラシも手作りし、私と母が観客となって父の部屋に集合した。

「今日はコンサートにようこそお越しくださいました。まずは、ルージュの伝言です。どうぞ!」

息子が一丁前に司会進行をしている。緊張気味な姿に思わずにやにや笑ってしまう。父と娘は、最初はお互いぎこちなく弾いていたが、だんだん二人の音が馴染み、歌声ものびやかに広がっていった。息子も缶のドラムと鈴を鳴らし、合間に司会までこなして大活躍だ。

レパートリーが少ないので、何度も同じ曲を弾く。ルージュの伝言、おどるポンポコリン、日曜日よりの使者。繰り返される音の輪によって、場が温まり、ひとつになっていく。はじめは子どもの遊びに付き合うくらいの気分で聴いていたのに、知らぬ間にじんわり涙が溢れてきた。そっと横を向くと、母の目も赤い。最後の曲が終わる。拍手する手と目頭が熱い。じいじ&まごーずの初コンサート。つたなくても即席でも、そんなの関係ない。心が震えたこの時間を、私は忘れない。

食べること

食に興味がないんだね、と言われることがある。主に夫からだ。夫は隙あらば美味しいお店の情報を集め、訪れる機会を狙っている。買ってきたお惣菜にもひと手間かけて何かしらアレンジしたがるタイプだ。それに比べると私は、食に対して熱量がない方かもしれない。個人店よりも気楽に入れるチェーン店を選びがちだし、新メニューに挑戦することはほとんどない。決まったメニューをいつも通り選ぶ。気に入ると飽きるまで延々と同じものを食べ続ける。そういえば高校生の時に一ヶ月ほど入院した際、お見舞いに来てくれた友人が「こんな時までハリボーのグミを食べてる!」とベッド脇の机に置かれたハリボーのコーラグミの山を見て叫んだことがあった。それくらい同じものを食べ続ける質だ。

そんな私は夫の目には「食に興味がない人間」と映るらしい。興味がないわけではもちろんない。美味しいものを食べるのは幸せのひとつだ。ただそれが夫のように最優先ではないことは、自覚としてある。

昔から「お腹すいた」と言うのに抵抗があった。学生時代の友人に、やたら「お腹空いた」と言う子がいた。お腹が空いた、というセリフはコミュニケーションを始めようという合図になる。お腹空いたね、じゃあ何か食べに行こうか。そこからあなたと私の関係が始まる。けれど私は、彼女の「お腹空いた」を聞くたびに居心地が悪くなった。彼女は挨拶がわりのように頻繁に「お腹空いた」を連発する。私は空腹であることを他人に曝すのは恥ずかしいと思っていた。ものすごく原始的な欲求をぶつけらているようで、恥の意識が刺激されてしまう。大袈裟に言うと、他人に無防備な部分を晒しているようで、不安になるのだ。恥と不安。私の根っこに「食」へのいびつな感情が埋まっている。

以前、知人に遠回しに料理が下手だと言われたことがある。軽い冗談のように言われたけれど、ぐっさり胸に刺さって、今でもまだ傷は生乾きのままだ。確かに私は料理が苦手だ。不器用で大雑把なので、食材を切るのも盛り付けも下手だ。味は悪くはないと思うが、もっと美味しく作れる人は山ほどいる。料理下手だと自覚はあるものの、他人に言われるとかなり破壊力があった。屈辱感と悲しみ、そして申し訳なさがごちゃ混ぜになって胸が重くなった。申し訳なさの対象は、子どもや夫だ。私の料理を食べるのは圧倒的に家族なのだ。家族は文句ひとつ言わず、美味しいと食べてくれる。けれど私は罪悪感で息苦しい。どうしてこんなに苦しいのだろう。内側を掘り起こしてみれば、ぼんやりと母の顔が浮かぶ。毎日ごはんを作ってくれた母。それを食べて生きてきた私。料理は愛情と結びつけられる。料理=母の愛、という安易な図式はいまだに根深くある。夫が無邪気に食べることを楽しめるのは、その図式から外れているせいかもしれない。料理の腕を否定されるのは、育ちや人格を否定されるくらいおおごとだったのだ、と初めて実感した。

「食べることは生きること」

「あなたはあなたの食べたものでできている」

食べることの喜びは呪いと紙一重だ。大好きな人と美味しいものを楽しく食べる。ただそれだけのことが、難しい。

2022/12/14

体の調子が悪い。頭が重くてクラクラする。幼稚園のお迎えが終わると、最低限の役目を果たした安心感からか、どっと怠さが増して横になってしまう。

先日、婦人科で診てもらい、血液検査の結果、中程度の貧血になっていることがわかった。ピルの服用はすぐには勧められず、ひとまず二週間分の鉄剤を処方してもらった。そのことを通っているメンタルクリニックの主治医に話すと、「二週間分じゃ全然足りない。生理がある女性は知らないうちに貧血になっているから、鉄剤はずっと飲み続けた方がいい」と、定期的に血液検査と鉄剤を処方してもらえることになった。丁寧に対応してもらえてありがたい。お医者さんとは相性が大切だとひしひしと感じた。特に私は話しやすい人のタイプが限られているので、合う人をみつけるのは大変だ。相性の良いお医者さんに出会うのは、運が大きい。有名な名医が自分にとっても名医とは限らない。だからしっくり来ない場合は、諦めずに違う病院を探した方がいいと思う。

娘のガールスカウトのクリスマス会に向けて、折り紙で飾りを作っている。すぐ気が散ってしまう娘の代わりに、動画を見ながら私も折る。今は動画があるから助かる。子どもの頃は作り方の図を見るのが苦手で、少しでも複雑になるとお手上げだった。友達でどんな難しい図でもさっさと作ってしまう子がいて、羨ましかったことを思い出した。サンタ、トナカイ、もみの木、ペンギン、柴犬…クリスマスと関係ないものもあるけど、可愛いので気にしない。子どもの頃には折れなかったものたちを、黙々と折る。無心になる。折ると祈るは少し似ている。

ねこちゃん、いたね

娘がニ歳になってすぐの頃だ。私は娘と手を繋いで、一駅先のスーパーまで買物にでかけた。当時住んでいた町は、駅名に谷の字がつく。その名の通り、急な坂道が至る所にある。上っては下り、下っては上る。どこへ行くにも息が上がった。隣町のスーパーに行く時はいつも電車を使っていたが、娘もだいぶしっかり歩けるようになってきたので、初めて歩いてみることにした。ちょっとした冒険だ。

夏の手前。風が新緑をゆらす。冒険にはうってつけのいい日だった。娘は私の手を振りほどき、短い足をとてとて繰り出して歩いてゆく。一歩進むごとに、地面にスタンプが押されるようだ。そっと後ろについて見守る。まだ髪が薄くて、赤ちゃんの面影が残る後頭部は、きれいな丸みを帯びている。こんなに頼りない髪の毛が、数年後はもっさり丈夫な剛毛になるなんて、あの頃の私は知る由もない。

子どもは体中に目がついている。ちょっと歩くだけで、あらゆるものを見つけてしまう。葉っぱの裏に隠れていたダンゴムシをつつき、空に溶けこみそうなほど薄い昼間の月も見逃さない。娘といると私まで全身が目になる。十五分の道のりが三十分、一時間に引き延ばされる。

「あ、ねこちゃん」

娘が指さす方に目をやると、白猫が一匹、道路をゆっくり横切っていた。ねこちゃん、ねこちゃんと呼びかける娘をちらりと見る。汚れひとつないきれいな白猫だった。このへんは野良猫が多いけど、この猫もそうなのだろうか。首輪はついていなかった。娘が駆け寄ると、するりと民家の門の隙間に体を滑り込ませて去ってしまった。猫って液体みたい。体の形がぐにゃぐにゃ変わる。蛇口から流れる水をつかもうとしてはつかめない、あの感覚を思い出した。

「ねこちゃん、行っちゃった」

「そうだね。おうちに帰ったのかもね」

娘は少しの間、猫が消えた家の門をのぞいていたが、また何事もなかったかのように歩き出した。

二歳児と過ごす午後は忙しい。スーパーに着いたらカゴを持ちたがる娘をなだめながら目当ての物を買い、帰りは上り坂がきついから電車に乗ってしまおう。帰ったら洗濯物を取り込んで、夕飯の仕込みをして…頭の中で段取りを組むうちに、猫のことはすっかり忘れてしまった。それからしばらくは、その道を通ることはなかった。

秋の終わり、久しぶりにまた隣町のスーパーまで娘と歩くことにした。色づいた葉っぱが道に敷き詰められている。踏んでしまうのがもったいないくらい、鮮やかな赤や黄色。きれいな葉っぱを拾いながら、娘はふと足を止めて言った。

「ここ、ねこちゃんいたね」

そこは以前、きれいな白猫に出会った場所だった。夏になる手前の頃だから、数ヶ月も前のことだ。覚えていたんだ。私は驚いた。道端で猫に会った。そんな些細なできごとが、この子の中にちゃんと残っていたなんて。赤ちゃんの頃は、寝るか泣くかミルクを飲むかしかなく、ただただ「今」を生きていた。全力で、今、この瞬間を体中でぶつけてくる赤ちゃんの生命力はすさまじかった。二歳になると、娘の内にも時間と記憶が降り積もって「過去」が生まれる。今が昔になる。点と点がつながって、娘だけの道になっていく。

「ねこちゃん、いたね」

「うん、いたね」

きっと、しばらくしたら娘は白猫のことを忘れてしまうだろう。二歳の頃の記憶が自分にもないように、日々はどんどん流れていってしまう。猫が門をすり抜けるように、水がつかめないように、誰も今を抱えてはいられない。でも、私だけは覚えていよう。娘が初めて思い出をつくった日のことを。

ねこちゃん、いたね。

2022/12/1〜12/3

11月はどこに消えた?

■12/1

中学からの友達と1年ぶりに会った。パイとキッシュのお店でランチ。生地にナイフを入れるとサクッと美味しそうな音がして、ワクワクしてくる。鮭とチーズの塩気とパイの甘さが口の中で混ざる。永遠に幸せ。

友達は相変わらず仕事と子育てに忙しそうだけど、なぜか昔から余裕がある。小柄で儚そうに見えるのに、実は軸が太くてまっすぐなのだ。会うとパワーをもらえる。ちょうど息子同士が同じ学年なので、子どものことを相談したり共感し合えるのも嬉しい。人に話を聞いてもらうというのは、自分の中に溜まっていたものをひとつずつ取り出して、虫干しするような感覚だ。風通しが良くなる。

■12/2

早朝にW杯、日本vsスペインを観た。スペインのパスサッカーはさすがだ。ボールを奪える気がしない。でもほとんどサッカーを知らない身としては、パス回しが延々と続くように見えて、少し飽きる。もっとドリブルで攻め上がるのが観たい。後半、早い時間に日本が2点取り、逆転。同時にやっているドイツvsコスタリカの試合の様子がたびたび実況された。その度に日本が予選突破できる条件が変わるので、スリリングすぎて胸が痛い、面白い。日本勝利。観てよかった。そのまま炊飯器をセットし、お米が炊けるまで仮眠したら案の定寝過ぎた。1日中、怠かった。選手たちは試合で動き回り、勝利して心も体もスッキリしているだろうに、観ている私は眠くて怠い。人の夢に乗っかっているだけの罰かな、なんて思った。

■12/3

近くの公園で落ち葉を使ったイベントがあった。娘はガールスカウトの仲間たちと落ち葉掃きのお手伝いをした。息子は私、夫と一緒に炭作りや草木染めを体験した。娘と違って、息子は五歳になっても人見知りする。遊具に知らない子がいるだけで逃げてしまう。幼稚園の門で園長先生に挨拶するのもやっとだ。(おそらく先生は聞こえていない)イベントの係の人たちが声をかけてくれても、なかなか返事ができない。こういう時、親はやきもきするが、根気強く見守っていくしかない。草木染めは使った草の名前を忘れてしまったけど、ハンカチが濃い黄色に染まって楽しかった。さつまいもを買って焼き芋にするコーナーは早々と売り切れていた。寒くてたき火の近くで温まる。薪や落ち葉がはぜる様子をずーっと見ていたくなる。落ち着く。火は原始的な記憶につながっている。

ある少年の話

年齢なんてただの数字だ、と思っていても、実際は頭のすみで気にしている。

七五三や成人式のように、オフィシャルな祝事とされている年齢は、たいした感慨もなくあっさり過ぎた。着物を着て、写真を撮って、家族や友人と集まって賑やかに過ごす。ただ流れに身を任せていればそれで良かった。

一方で、旗を立ててこちらが来るのを待ち構えているような、特別なポイントとなる年齢がある。30歳までに結婚したいとか、40歳までに仕事で独立したいとか、人によって旗の立つ場所は違う。私の場合、旗は14歳に立っていた。

中学2年生の夏、私は14歳になった。憂鬱だった。これで子供でいられる時間は終わって、あとは歳を取っていくんだな。そんな、今思うと笑ってしまうほど若いのだけど、あの頃は本気でそう思っていた。

14歳は永遠の少年、エドガーの年齢だ。エドガーとはもちろん、萩尾望都の代表作『ポーの一族』のエドガーのことだ。初めて読んだのは、確か小学4年生の頃だ。ほとんどマンガを読まない母が、唯一持っていたマンガが『ポーの一族』だった。ちなみに、母はなんでも生協で買う生協のヘビーユーザーだが、『ポーの一族』も例に漏れず生協で注文した愛蔵版だった。表紙が萩尾望都の絵ではなく、写実的で神話の女神のような女性の絵だったのを覚えている。そのせいで少し近寄りがたい雰囲気があった。

ある日、学校から帰って暇を持てあました私は、リビングに置かれていたその神秘的な本を手に取った。一気に引き込まれた。18世紀の貴族の館から始まり、詩のようなモノローグ、少年たちの妖しい美しさ、複雑に編み込まれた200年もの時の流れ…いつも読んでいる『りぼん』や『なかよし』とは全く違う。なんだこれ、なんだこれ!物語の渦に巻き込まれ、気がつくとすっかり日が暮れていた。 

それからというもの、私はくりかえし『ポーの一族』を読んだ。年表を作って話を整理したり、マザーグースについて調べてみたり、アランの消失に思いを馳せたり…いくら読んでも足りなかった。

何がこんなに私を惹きつけるのか。何度も読むうちに、その理由がわかってきた。エドガーが去った後、残された人たちは「みんな私を置いて行った」「私だけが歳を取る」と嘆く。でも本当は、置いていかれるのはエドガーだ。愛する人たちがこの世を去っても、少年のまま時を越えて生き続けなければならないのだから。私は孤独や深い悲しみの端っこに初めて触れた。そしてその端っこを何度もたぐり寄せるうちに、私の中につながっていることを見つけてしまったのだ。

子供と大人のはざま。14歳は私にとって特別な年齢として刻まれた。

14歳をとうに過ぎた今でも、本棚の奥には『ポーの一族』がある。茶色くやけた紙、指の形に少し凹んだ小口。そっと撫でてページをめくる。永遠の少年が、そこにいる。

2022/10/18

娘以外はなんとなく怠くて体調不良。息子は幼稚園を休み、私も午前中は一緒に寝ていた。いくら寝ても足りない。

図書館で借りていた『ユリイカ』の湯浅政明特集をななめ読みした。2020年のコロナ流行初期に子どもたちと『映像研には手を出すな』にハマり、ステイホーム中に何度も見た。その監督ということで、気になって読んでみた。あまり特集内容が頭に入らず。また『映像研』を見直そうかな、とだけ思った。

歩くことにハマっている。頭が冴えてくる感覚が久しぶり過ぎて嬉しい。雑誌の小さな記事で知った、スペインのサンティアゴ巡礼が気になる。聖地を目指してひたすら歩く。やってみたい。ちょうど遠藤周作の『沈黙』を読み返していて、意識がそっちに向かっているのでは、と安易に結びつけてしまう。夫に家族でやろうよ!と誘ってみたが、そんなに休み取れない、と即答されてしまった。どうしたものかな。とりあえず心のやりたいことリストに加えておく。