ある少年の話

年齢なんてただの数字だ、と思っていても、実際は頭のすみで気にしている。

七五三や成人式のように、オフィシャルな祝事とされている年齢は、たいした感慨もなくあっさり過ぎた。着物を着て、写真を撮って、家族や友人と集まって賑やかに過ごす。ただ流れに身を任せていればそれで良かった。

一方で、旗を立ててこちらが来るのを待ち構えているような、特別なポイントとなる年齢がある。30歳までに結婚したいとか、40歳までに仕事で独立したいとか、人によって旗の立つ場所は違う。私の場合、旗は14歳に立っていた。

中学2年生の夏、私は14歳になった。憂鬱だった。これで子供でいられる時間は終わって、あとは歳を取っていくんだな。そんな、今思うと笑ってしまうほど若いのだけど、あの頃は本気でそう思っていた。

14歳は永遠の少年、エドガーの年齢だ。エドガーとはもちろん、萩尾望都の代表作『ポーの一族』のエドガーのことだ。初めて読んだのは、確か小学4年生の頃だ。ほとんどマンガを読まない母が、唯一持っていたマンガが『ポーの一族』だった。ちなみに、母はなんでも生協で買う生協のヘビーユーザーだが、『ポーの一族』も例に漏れず生協で注文した愛蔵版だった。表紙が萩尾望都の絵ではなく、写実的で神話の女神のような女性の絵だったのを覚えている。そのせいで少し近寄りがたい雰囲気があった。

ある日、学校から帰って暇を持てあました私は、リビングに置かれていたその神秘的な本を手に取った。一気に引き込まれた。18世紀の貴族の館から始まり、詩のようなモノローグ、少年たちの妖しい美しさ、複雑に編み込まれた200年もの時の流れ…いつも読んでいる『りぼん』や『なかよし』とは全く違う。なんだこれ、なんだこれ!物語の渦に巻き込まれ、気がつくとすっかり日が暮れていた。 

それからというもの、私はくりかえし『ポーの一族』を読んだ。年表を作って話を整理したり、マザーグースについて調べてみたり、アランの消失に思いを馳せたり…いくら読んでも足りなかった。

何がこんなに私を惹きつけるのか。何度も読むうちに、その理由がわかってきた。エドガーが去った後、残された人たちは「みんな私を置いて行った」「私だけが歳を取る」と嘆く。でも本当は、置いていかれるのはエドガーだ。愛する人たちがこの世を去っても、少年のまま時を越えて生き続けなければならないのだから。私は孤独や深い悲しみの端っこに初めて触れた。そしてその端っこを何度もたぐり寄せるうちに、私の中につながっていることを見つけてしまったのだ。

子供と大人のはざま。14歳は私にとって特別な年齢として刻まれた。

14歳をとうに過ぎた今でも、本棚の奥には『ポーの一族』がある。茶色くやけた紙、指の形に少し凹んだ小口。そっと撫でてページをめくる。永遠の少年が、そこにいる。