ねこちゃん、いたね

娘がニ歳になってすぐの頃だ。私は娘と手を繋いで、一駅先のスーパーまで買物にでかけた。当時住んでいた町は、駅名に谷の字がつく。その名の通り、急な坂道が至る所にある。上っては下り、下っては上る。どこへ行くにも息が上がった。隣町のスーパーに行く時はいつも電車を使っていたが、娘もだいぶしっかり歩けるようになってきたので、初めて歩いてみることにした。ちょっとした冒険だ。

夏の手前。風が新緑をゆらす。冒険にはうってつけのいい日だった。娘は私の手を振りほどき、短い足をとてとて繰り出して歩いてゆく。一歩進むごとに、地面にスタンプが押されるようだ。そっと後ろについて見守る。まだ髪が薄くて、赤ちゃんの面影が残る後頭部は、きれいな丸みを帯びている。こんなに頼りない髪の毛が、数年後はもっさり丈夫な剛毛になるなんて、あの頃の私は知る由もない。

子どもは体中に目がついている。ちょっと歩くだけで、あらゆるものを見つけてしまう。葉っぱの裏に隠れていたダンゴムシをつつき、空に溶けこみそうなほど薄い昼間の月も見逃さない。娘といると私まで全身が目になる。十五分の道のりが三十分、一時間に引き延ばされる。

「あ、ねこちゃん」

娘が指さす方に目をやると、白猫が一匹、道路をゆっくり横切っていた。ねこちゃん、ねこちゃんと呼びかける娘をちらりと見る。汚れひとつないきれいな白猫だった。このへんは野良猫が多いけど、この猫もそうなのだろうか。首輪はついていなかった。娘が駆け寄ると、するりと民家の門の隙間に体を滑り込ませて去ってしまった。猫って液体みたい。体の形がぐにゃぐにゃ変わる。蛇口から流れる水をつかもうとしてはつかめない、あの感覚を思い出した。

「ねこちゃん、行っちゃった」

「そうだね。おうちに帰ったのかもね」

娘は少しの間、猫が消えた家の門をのぞいていたが、また何事もなかったかのように歩き出した。

二歳児と過ごす午後は忙しい。スーパーに着いたらカゴを持ちたがる娘をなだめながら目当ての物を買い、帰りは上り坂がきついから電車に乗ってしまおう。帰ったら洗濯物を取り込んで、夕飯の仕込みをして…頭の中で段取りを組むうちに、猫のことはすっかり忘れてしまった。それからしばらくは、その道を通ることはなかった。

秋の終わり、久しぶりにまた隣町のスーパーまで娘と歩くことにした。色づいた葉っぱが道に敷き詰められている。踏んでしまうのがもったいないくらい、鮮やかな赤や黄色。きれいな葉っぱを拾いながら、娘はふと足を止めて言った。

「ここ、ねこちゃんいたね」

そこは以前、きれいな白猫に出会った場所だった。夏になる手前の頃だから、数ヶ月も前のことだ。覚えていたんだ。私は驚いた。道端で猫に会った。そんな些細なできごとが、この子の中にちゃんと残っていたなんて。赤ちゃんの頃は、寝るか泣くかミルクを飲むかしかなく、ただただ「今」を生きていた。全力で、今、この瞬間を体中でぶつけてくる赤ちゃんの生命力はすさまじかった。二歳になると、娘の内にも時間と記憶が降り積もって「過去」が生まれる。今が昔になる。点と点がつながって、娘だけの道になっていく。

「ねこちゃん、いたね」

「うん、いたね」

きっと、しばらくしたら娘は白猫のことを忘れてしまうだろう。二歳の頃の記憶が自分にもないように、日々はどんどん流れていってしまう。猫が門をすり抜けるように、水がつかめないように、誰も今を抱えてはいられない。でも、私だけは覚えていよう。娘が初めて思い出をつくった日のことを。

ねこちゃん、いたね。