彼らのことば

『目で見ることばで話をさせて』

作:アン・クレア・レゾット

タイトルに惹かれて手にしたこの本は、ヤングアダルト向けの小説だ。

目で見ることばとは、手話のことだ。19世紀のはじめ、11歳のメアリーは、生まれつき耳が聞こえない。同じくろう者の父、聴者の母と島で暮らしている。

物語の舞台であるマーサズ・ヴィンヤード島は、米国のボストンの南に実在する。この島は先天性のろう者の割合が高かった。イギリス本土から渡って来た開拓者がもたらした遺伝性の聴覚障害が、狭い集落のなかで婚姻をくり返すうちに、子孫たちに受け継がれていったことが原因だった。島ではろう者が身近にいるのが当たり前のため、ろう者も聴者も島独特の手話で話していた。

マーサズ・ヴィンヤード島を調べたノンフィクション『みんなが手話で話した島』では、年老いた島民に聴き取り調査をした際、誰がろう者だったかを尋ねられても、すぐには答えられなかったというエピソードが出てくる。それくらい、ろう者は日常に溶けこみ、ろう者であることはその人を規定する特徴ではなかった。聞こえないことが「障害」にならない島の状態は、三百年ほど続いた。

この二冊の本を読んで、思い出したことがある。

中学生の頃、私は電車の中で手話で話をする人たちを見かけた。私が手話を目にするのは、テレビの手話ニュースの時だけで、実際に手話でやり取りする場に遭遇したのは初めてだった。「遭遇」ということばを使ってしまうほどに、手話は遠いものだった。

夕方の車内は少し混み始めていた。手話で話をする二人は、大学生くらいだろうか。話が盛り上がっているようで、両手が大きく動いている。私の耳元でシュッ、シュッと手で空を切る音がしていた。私はふと、居心地の悪さを感じた。車内に息を詰めたような重い空気が漂っている。私を含め、同じ車内にいる人たちは、明らかに二人を好奇の目で見ていた。あからさまに視線を遣る人はいなかったが、彼らを意識していることは空気ではっきりわかった。

居心地が悪くなったのは、車内の空気のせいだけではない。彼らの手振りを……いや、彼らのことばを、鬱陶しく感じてしまったからだ。何を話しているか知らないけど、混んできたのに盛り上がっちゃって。まるで外国語で内緒話をされているような疎外感と苛立ちを感じた。瞬間、はっとした。この居心地の悪さこそ、彼らが日常で感じているものだと気付いた。胸がサーっと冷たくなり、すぐに血が上って熱くなった。首筋に緊張した時のように冷や汗が滲んだ。

下り電車には、家路に着く人たちがどんどん乗り込んできた。二人のあいだにも人が入り込み、手話は中断された。話し足りなそうに、二人はお互い目を合わせながら苦笑いしていた。もし声でやり取りできるなら、まだ小声で会話できるくらいの距離だ。私は人に押しやられて彼らから離れた。いたたまれなかった。混雑で二人が手話をするスペースがなくなってしまったこと。自分が彼らを冷めた目で見てしまったこと。多数派の立場にある時は、少数派の人を気分ひとつで排除したくなる傲慢さが自分にもあること。そんな色々が入り混じり、うつむきながら電車に揺られていた。

メアリーは島のろう者を研究しに来た男にさらわれ、ボストンへ連れて行かれてしまう。島では聞こえる人も聞こえない人も対等なのに、ボストンでメアリーはひどい扱いを受ける。聞こえないことは知能が低い、劣っていると見做され差別を受ける。

障害が障害として扱われるのは、社会がいわゆる健常者のためのつくりになっているからではないか。そう考えられるように少しずつなってきたけれど、メアリーが受けた差別や偏見は、いまだ過去のものにはなっていない。自分の中にある差別的な面を思い出し、改めて見つめさせられた物語だった。